【ソ連 宣戦布告の日】


中国と並び、ロシア(旧ソ連)は
一言でいえば、まったく信頼できない国であると
いうべきでしょう。

中国人もロシア人も個人としてつきあうには
おおらかで情も篤く、人種を越えての友情が
育まれることが多いのですが、
「国家」という単位となると話は全く違ってくる。

約束が約束でない
都合により反故にしてもまかり通る
条約など、場合によってはただの紙切れ。

これはどうやら彼の国においては
常識であるようです。

で、それはそれで、よいではないかと私は思っています。

しかし、そうした国家であるという認識は
骨の髄までたたき込んでいなければなりません。

そこが、甘くなかったか。
ソ連の宣戦布告を、
「そんなばかな」と受け止めた大臣も実際にいる。

条約を交わしたからとて
彼の国は何をしでかすかわからないぞ
こういう腹づもりで目を光らせ、異変有りとすれば
逐一手を打たねばならなかったのだろうと思います。


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 広島への原爆投下からわずか二日後の八月八日、
突然、ソ連が日本に宣戦布告をしました。
 翌九日午前0時、ソ連軍は満州に進攻開始。
戦車五〇〇〇輌、
航空機五〇〇〇機、
大砲二万四〇〇〇門、
兵力一七四万人という大勢力で、
北・東・西と三方の国境から侵入、
国境守備隊を粉砕し、日本人開拓村を襲撃したのです。
その惨状は筆舌に尽くしがたいものがありました。
男性は次々と銃殺され、女性は辱めを受け、
老人子供といわず戦車に追いまくられ
ひき殺されていったといいます。
 日本とソ連は「日ソ中立条約」を交わしていました。
 その一方でソ連は昭和二〇年二月の
米英とのヤルタ秘密協定において
南樺太の返還および千島列島の引き渡しなどを見返りに
対日参戦するという密約を交わしていたのです。
「日ソ中立条約」を破棄するとソ連が伝えてきたのは
その二ヶ月後の四月。
しかしその効力発生は一年後という取り決めになっていました。もしやソ連と戦争ということになってしまうとしても、
それは一年後であると日本は信じていた。
まさか正々堂々と条約違反をする「文明国」があろうとは
思いもよらなかったのです。

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