原爆は米国の「良心の棘」

毎年、終戦の八月が訪れるたびに、私は忸怩たる想いを抱きます。
「戦争の悲惨さ」ばかりが強調されていますが、
戦争が悲惨であることは知れたこと。
そんな「悲惨な戦争」をあえてせねばならなかった状況を鑑みなければなりません。
英霊に申し訳ないの一言に尽きます。
さらにもっと悲惨なのは、
私は、実は、「戦勝国」であると思っています。
「米国」と言ってもいいでしょう。
自分達が侵した戦争犯罪を、東京裁判という茶番劇によって無理矢理正当化した。
その時、人間そして国家の「良心」に深く棘が突き刺さった。
棘が刺さった患部は、今やすっかり化膿している。
おのずから力は弱る。
その棘を抜くことができるのは、この地球上に日本をおいて他にありません。
だからこそ、わたくしたち日ノ本の国民は、
「わたくしどもが悪うございました」などと言っている場合ではないのです。
いわゆる自虐史観でいることは、もはや我が国一国のみならず、
世界の少なからぬ国々に悪影響を与えると理解せねばなりません。
私はあえて申し上げたいのです。
二度の原爆投下があり、終戦を迎えたこの八月を
「奇妙な反省」の一ヶ月にするのではなくして、
「日本には重要な役割がある」ということを理解し、
世界に貢献する覚悟を決める一ヶ月にして欲しいのです。
それでこそ、英霊への感謝と供養になるはずです。
広島への原爆投下に際して追悼の意を込めて、
以下、『五月の螢』より抜粋いたします。
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 八月六日午前八時十五分、
B‐29爆撃機エノラ・ゲイ号がウラン型原子爆弾
「リトル・ボーイ」を広島に投下。
 あたりが真白になるほどの閃光が放たれたかと思うと
大地を揺るがすような爆音が轟き、
広島市街は瞬時にして死の街と化しました。
一〇万人以上の命が奪われ、爆心地から二キロ以内の木造家屋は消滅。
鉄筋コンクリートの建物は爆風によって破壊され、
およそ一三平方キロが炎に包まれました。
無気味な赤い炎が地上を舐めるように広がり、黒煙が夏の空を覆う。
たった一発の爆弾が、それまで人類が経験したことのない生き地獄を創出したのです。
その被害は今に到ってもなお続いており
原爆症を原因とする死者は推定二〇万人近くにもなるとされています。
 翌七日、トルーマン大統領は短波放送で声明を発表しました。
その中には以下のような内容が含まれています。
「七月二十六日に最後通告として発したポツダム宣言は、
全面的破壊から日本国民を救うためであった。
にも関わらず彼らの指導者は通告を拒否した。
もし今われわれの条件を受け入れなければ、
空から破滅の弾雨が降り注ぐものと覚悟すべきであり、
それはこの地上でかつて経験したことのないものとなろう。
この空からの攻撃に続いて、
日本の指導者がまだ見たこともないほどの大兵力と、
すでに十分知られている戦闘技術とをもって侵攻するだろう」
 さらなる大虐殺をすぐにも実行する用意があるという、
一国の大統領たるものが脅迫としか受け取りようのないことを宣言したのです。
 原爆投下に際して、「日本がポツダム宣言を黙殺した」ということが、
あたかも正当な理由であるかのように利用されていますが、
米国による原爆投下は、すでに昭和一九年九月の段階で、
ルーズベルト大統領とチャーチル英首相との間で密約が交わされています。
それをトルーマンが踏襲したのです。
 日本側では七月二六日に発表された『ポツダム宣言』の内容をめぐって、
主として天皇制の存続が守られるかどうか、
それが確約されるかどうかで激論が交わされていました。
陸軍はなおも強硬な態度で本土決戦を主張しており、
まかり間違えばクーデターが引き起こされかねない状況でした。
この期に及んで国内が分裂してしまっては、
それこそ最悪の条件下で植民地化されかねません。
鈴木首相はやむを得ず「黙殺」したのです。
 それを米国は日本側の強硬姿勢と決めつけ、
「戦争を一刻も早く終わらせ米国の人命を守るためにやむを得ず」原爆を投下した、
という図式をつくりあげました。
 この図式は今も多くの米国人が信じるところです。
自分たちは平和のために原爆を投下した。
それは紛れもない正義であるとされているのです。
 たとえそれが詭弁であったとしても、
自国の正義を主張するということはあるかもしれません。
それに対して日本側は自国の立場を主張すること、
被害の実態を伝えること、
さらには「原爆投下が国際法に違反する罪」であることを
今なお表明できていません。
それどころか
「原爆により戦争を終わらせることができた」
という認識は日本にもあるのです。
占領下のもと、GHQはあらゆる手段を使って
「原爆はやむをえなかった」という認識を浸透させたのが
最たる原因といえるでしょう。
 ヘレン・ミアーズは原爆投下についても
公平な見識に基づき勇気ある発言をしています。
「私たちは他国民の罪だけを告発し
、自分たちが民主主義の名のもとに犯した罪は
自動的に免責されるとでも思っているのだろうか。(中略)
ここにいたってもなお、原爆使用の正当性に固執するのは、
私たち自身の価値観を否定するものだ」
(『アメリカの鏡・日本』ヘレン・ミアーズ 角川Oneテーマ21)
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