【この佳き国は永遠に亡びない!】
(※拙著『五月の蛍』より抜粋いたします。)
***
二六〇〇年余りの歴史のなかで、
初めて日本は戦争に負けたのです。
古くは元寇、さらには幕末のペリー来航、
明治においては清国および大国ロシアと渡り合い、
果敢に国を守り抜いてきた。
その歴史に、かかる詔勅を下さざるを得なかった
昭和天皇のご心中はいかばかりであらされましたでしょう。
天皇は未曾有の国難に際して、
我が身に変えても国民を救わんとされました。
このことは敗戦の衝撃と深い悲しみに加え、
理屈を超えた畏怖と感動を人々に喚起したのです。
この日の日記に徳川夢声は以下のように綴りました。
初めて日本は戦争に負けたのです。
古くは元寇、さらには幕末のペリー来航、
明治においては清国および大国ロシアと渡り合い、
果敢に国を守り抜いてきた。
その歴史に、かかる詔勅を下さざるを得なかった
昭和天皇のご心中はいかばかりであらされましたでしょう。
天皇は未曾有の国難に際して、
我が身に変えても国民を救わんとされました。
このことは敗戦の衝撃と深い悲しみに加え、
理屈を超えた畏怖と感動を人々に喚起したのです。
この日の日記に徳川夢声は以下のように綴りました。
何という清らかな御声であるか。
有難さが毛筋の果てまで滲み透る。
再び「君が代」である。
足元の畳に、大きな音をたてて、私の涙が落ちて行った。
私などある意味において、最も不逞なる臣民の一人である。
その私にしてかくの如し。
全日本の各家庭、各学校、各会社、各工場、各兵営、等しく静まりかえって、これを拝したことであろう。
かくの如き君主が、
かくの如き国民がまたと世界にあろうか、と私は思った。
有難さが毛筋の果てまで滲み透る。
再び「君が代」である。
足元の畳に、大きな音をたてて、私の涙が落ちて行った。
私などある意味において、最も不逞なる臣民の一人である。
その私にしてかくの如し。
全日本の各家庭、各学校、各会社、各工場、各兵営、等しく静まりかえって、これを拝したことであろう。
かくの如き君主が、
かくの如き国民がまたと世界にあろうか、と私は思った。
この佳き国は永遠に亡びない!
直感的に私はそう感じた。
万々一亡びると仮定せよ。
しかも私は全人類の歴史にありし、
如何なる国よりも、
この国に生まれた栄光を喜ぶであろう。
しかも私は全人類の歴史にありし、
如何なる国よりも、
この国に生まれた栄光を喜ぶであろう。
日本亡ぶるの時、
それは人類の美しき歴史が亡ぶるの時だ!
それは人類の美しき歴史が亡ぶるの時だ!
あとには唯物の味気なき歴史が、残るばかりである。
(『夢声戦争日記(七)』徳川夢声 中公文庫)